ちょこっと妖精学 治癒

妖精たちや、ひいては彼らの根源である古の神々たち。
彼らは当然のように魔法を使います。
その祝福に預かれたとしたらそれはまさしく幸福なことでしょう。
中でももっとも望まれたのは「治癒」だと思います。
森の泉に宿る女神や森の王と思える古木。
そして妖精砦の傍らに佇む妖精木。
これらには病気平癒や壮健、時に安産などの願いが託されました。
古の時代は生け贄などが捧げられましたが、今ではコインや指輪などを捧げたり、木の枝にリボンを結びつけたりなどしています。→リボンが解ければ結願。

John William Waterhouse

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ちょこっと妖精学 千里眼

妖精たちは居ながらにして遠くのことを見聞きできるようです。
それは千里眼といっても良いほどですし、中にはテレパシー、読心術の類いのように心の中を見透かすようなことも。
けれど、そうは言っても欺されてしまうこともあります。
例えば或る民話で、妖精たちに居座られて困り果てた農家の主婦が、フェアリードクターの力を借りて難を逃れるのですが、その時、彼女は、戸口で「妖精砦が火事だ!」と叫ぶのです。
驚いた妖精たちは家を飛び出て帰るのですが……
もちろん、これはそのお話では、ということですが、時には妖精も人に欺されてしまうようです。

Margaret Winifred Tarrant

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ちょこっと妖精学 お産

妖精たちのお産に産婆さんが駆り出されるというお話はアイルランド周辺ではひとつの典型として語られています。
しかし、そんな定番のお話にも様々なパターンがあります。
まず、お産を控えているのが『妖精の女性』である場合と『人間の女性』である場合です。
そう、妖精の男に攫われてきた女性が産気づいているのです。
妖精界にももちろん産婆さんはいるでしょう。
けれど、人間のお産に立ち会える産婆さんはいなかったのです。たぶん。
人間と妖精はとても似ていますが、そういった生物としての基本の所が違っているのでしょうね。

Herbert James Draper

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#ちょこっと妖精学 好意

妖精たちの好意は混じり気がなく、人のように好きな人の中にも嫌の所を見つけたり、嫌いな人にも好ましいところを発見してしまう、ということはないようです。
もちろんそれも民話や伝承によってまちまちですが。
とはいえ、共通していることは「一方的な好意は拒絶する」ところでしょうか。
一度は偶然で迷い込むことが出来るけれど、意図して二度目は辿り着けない妖精郷と同じように、一方的で、押しつけの好意や気持ちに彼らは拒絶し、下手をすると呪いの投げ矢を射かけてきます。
すこし恐ろしくもありますが、人もそうですよね。好意であれ何であれ押しつけは良くないですね。

Margaret Tarrant

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ちょこっと妖精学 妖精避け

様々な妖精避けがありますが、一番有名なのは「鉄」でしょうか。
意外かと思われますが、妖精の源流のひとつに「青銅器時代の祖霊」というものがあり、彼らがあとからやって来た鉄器を使う人たちに負けたからというのがその理由です。
ついでこれまた意外な出自?として上げられるのが妖精たちは堕天使というもの。
天に帰るほど良くもなく、かといって自国に落ちるほど悪くもない堕天使たちだというのです。ですから、キリストを意味する「パン」と「清めの塩」が嫌うというのです。
パンと塩……オリーブオイルが欲しいところですね。

Harold Gaze

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ちょこっと妖精学 愛

彼らに愛されると様々な祝福を得ることがあります。
例えば戦に出ても死なない、常勝などは良く知られるところです。
湖の妖精から守護を受けた騎士なども有名です。
ですが、大凡の場合、彼らに愛されるということは、行き過ぎた加護を意味することもあり、中には殆ど呪いではないか? ということも。
一番多いのは、こちら側に戻れなくなるというもの。
妖精郷は確かに素晴らしい所ですが、ある意味で時間が止まって変化はありません。
また人界と切り離されている為、友人や家族との縁は切れてしまいます。
もちろん中には様々なきっかけによってこちらに戻ってくることもあります。
しかしその場合、彼らに記憶や感情を奪われていることがあります。
なにより最大の損失は「時間」でしょう。
妖精郷の時間の流れは1年が100年に相当するとか。
戻ってきても、身内はおろか、誰も、土地や国さえもあなたの事を知らないのです。
こんなお話が、たくさん伝わっています。
まさに浦島太郎ですね。

Warwick Goble

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ちょこっと妖精学 姿は見えず

妖精たちは一般的に人の目には触れず、特別な時にしか視えないといわれています。
これは彼らが姿隠しのマントや魔法を心得ていて、望まない限り姿を見せないからだと謂われています。
ですが別の説話では、ある日、神がイブに子供たちは元気かと訊ねたとき、まだ水浴びをさせていなかった子供たちを恥ずかしがり、隠してしまいました。
すると神はそれを悟り「今、お前が隠した子供たちはこれからも人の目に触れないように生きていかなくてはならない」と告げたそう。
それ以降、その時隠された子供たちは野や山、森で隠れ住み、妖精となったと伝えられています。

Harold Gaze

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モジャミの夜咄、収録終了〜

ひっそりと?細く長く続けているYouTubeラジオ「モジャミの夜咄」。
先ほど、その収録が終わりました。
聞いてくださってる方はご存知のように、このラジオ。
僕と宇里香菜さんが飲み屋さんのていで、お酒を紹介しつつ飲んで話すという、なんとも呑気な番組です。
今回は宇里香菜さんの舞台のお話と、演技が巧いってどういう事?みたいなことをお話ししました。
良かったら8月9日夜11時半からの公開されますので、聞いてくださいね。

前回のモジャミはこちら〜

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ちょこっと妖精学 遭遇譚

様々な妖精譚の中で、彼らと出会った、つまり遭遇譚ほど異彩と魅力を放っているお話はありません。
泣き妖精バンシーや靴屋妖精レプラコーン。時には死ぬ程の怖い目を合わせる赤男ファージャログなど様々な妖精が登場しますが、中でも目撃例の多いのが変身妖精プーカではないでしょうか。どんな姿をしているのか、果たしてどれが真の姿か分からないほど様々な姿に変化する彼らですが、多くは黒牛や仔ウシほどの黒犬として現れる事が多いようです。
こんな話が有ります。1920年頃、アイルランド西部メイヨー県で、或る若者が、夕刻の帰り道、とんでもなく大きな黒犬に出くわしました。明らかに尋常ではないその姿に恐れをなした彼は、急いで家に戻ったそうです。
その黒妖犬は水路を跨ぐことが出来なかったそう。
彼らの幾つかは、流れる水を渡れないと謂われていますが果たして?

Christmas With Mother Goose

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ちょこっと妖精学 妖精の一撃

フェアリーストライク、妖精の一撃というものがあります。その名の通り彼らからの一矢。それは見えず、察知することは不可能で、当たるとリュウマチやぎっくり腰のような症状に襲われます。しかしそんなことはまだ良い方で、中には半身不随や心臓麻痺になってしまうことも。
それらはおとぎ話や民話だけのことと思われることも多いのですが、アイルランドなどには実際そんな事件が散見されます。
例えば、アイルランド西部メイヨー県で、病院を建てることになりました。ですがその予定地には妖精木・サンザシが生えていました。しかし作業員たちはそれを信じず、あまつさえ彼らに暴言を吐いたといいます。結果、作業員たちは妖精の一撃をくらい、足を引きずり、中には命を落としてしまったものもいたそうです。
それでも病院は建てられましたが、開院することはなく、全ての計画が頓挫し、今でもそこには木が生い茂っているそうです。
この話は1920年に起こったことだそうです。

Heinrich Vogeler

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