お話と僕と妖精と

振り返れば、随分長く彼らの事を追いかけてきたなぁと思います。
いや、正確には彼らと共に過ごしてきた、でしょうか。

何がきっかけだったが覚えていなせんが、両親が買ってくれたお話のテープがきっかけの一つだったことは間違いないんですが。

そもそも、不思議な存在が出てくるお話が好きでした。
でも、いわゆるドラゴンとか英雄とかそういうのではなくて、お話には当然のように出てくる不思議な存在たち。大抵はお話の主人公の冒険を手助けしてくれたり、中には邪魔したりとかそういう彼らがたまらなく好きでした。

しばらくすると、いわゆる絵本で読める定番のものでは飽きてきて、色々と調べていく内に、その土地その土地で語られているの民話に行き着き、もっとたくさんの彼らと出会って言った訳です。

まぁ、三つ子の魂百までもって奴ですね。

あと、僕の郷里である四国って言うのも大きい理由だったかも知れません。

四国は遠野物語の東北ほどメジャーではありませんが、長十郎狸や犬神など、たくさんの奇々怪々なものたちのお話や、弘法大師の伝説や、それこそ平家の落人伝説に、崇徳上皇の奇譚など、多種多様なお話が残され、今でもそういう気配を感じられる所です。

お話を語れば語るほど、ああ、当たり前だけどお話はそれだけで存在するのでは無くて、やはりその土地、そこに住む人たち、そして歴史が絡んでくるんだなって思い至ります。

それを色んな角度で、歴史であったり、心理であったり、民俗なんかで研究したりする人がいて、僕も時々そういう資料を読んだりしています。

それでも、まだ遠いなーと思うことも。

だから、アイルランドに足繁く通うんですけどね。
学者でも、アイルランド人でもない僕が、彼の国のお話を語るには、せめて体中にアイルランドの風を受けてきたい、胸いっぱいに吸い込んで、細胞をひとつひつ晒していたい。
そう思うのです。

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