彼らを感じるとき

なんて書き方をすると「本当に視えてるんですね!」と訊かれそうですが、そういうことではなく(否定も肯定もしないスタンス。神秘は神秘、謎は謎のままで♪)、先だって本棚を整理する機会があり、アレヤコレヤを手放したり、入れ替えたりして、なんとか心地の良い本棚にしたのですが、まー収まっている本がすべて「妖精学」「物語」「伝承、民話」なんですね。いわゆる小説とか実用書は皆無。
よくよく本棚は、その人を表すなんて言いますが、まさに「経済活動に興味ない人」「社会的な某かには不向き」と言わんばかりだなぁと我ながらアハハハと笑ってしまいました。
とはいえです。僕は妖精譚の語り部で、なによりフェアリードクターなわけでして、そういう生業の本棚であればこれで良いのかなぁと改めて、自分を省みたりも。
花を見れば、その傍らでせっせと世話をする小妖精が。
水のせせらぎは水霊の歌声に。
木漏れ日は、樹の乙女の誘いに、赤い鳥居の奥には白い狐さんが跳ねていたり……ん?
正直、のべつまくなし四六時中彼らが傍らにいる訳ですね。
もし僕がどうすれば妖精が視られますか? と訊ねられたなら、
「彼ら(物語)の世界から降りないことです」とこたえるでしょうね。

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